こんにちは。on coです。先日の授業で、仏教の話をしました。
宗教を扱う際には「生」と「死」に触れないわけにはいきませんよね。ガウタマ=シッダールタは、人間の苦悩の原因として四苦八苦を提示してます。
四苦は生死病老。これに、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦の4つを合わせて八苦です。「この世に生まれてきた時点で、人は苦を背負っている」とされています。
私は、人より少しだけ四苦(=生死病老)を考える機会が多かったアラサーだと自負しています😅笑。 特に、「死」に関しては、思うところがあり、授業中に脱線がてら生徒にこんな話をしました。
「人は2度死ぬといいます。1度目はみんなが想像しているような“死“。この世から命がなくなること。じゃあ、2度目ってなんでしょうか?」
*何かの映画の言葉だったか、忘れましたが「人は2度死ぬ」という言葉は、私に大きな衝撃を与えました。
皆さんは何だと思いますか?
それは、、、
「その人を思う人がいなくなった。忘れ去られてしまった時の“死“。」
つまり忘却の死です。
今回のブログは、この「2つの死」について思うところを書いていきたいと思います。身近な人が亡くなったり、大切な命を失うことになったりして辛い思いをしている方が、少しでも気持ちが軽くなるようにと思い、授業の記録ではありませんが書いていこうと思います。
父の死
*ここからは、断片的な記憶をもとに書いています。口調が変わるので読みにくいかとは思いますがご了承ください🙇♀️
私の7歳の誕生日の日。父は病院のベッドの上で最期を迎えた。私の当日の記憶は、母親が姉を怒鳴ったところから始まる。
「早くしなさい!」だったかな?
それが当日の記憶だと知ったのはもっと歳をとってからだが、、、
病院に着いた。まだ心電図が動いている。今日は私の誕生日。病室には母、姉、兄、祖父母、そして広島のおばちゃんが駐車場からやってきた。
父は、目が黄色くなっていて、まばたきをしていない。私の誕生日ケーキにローソクがたてられ、火をつけた。みんなで誕生日の歌を歌ってくれた。父の目から涙が流れている。
心電図の数値が急に下がってきた。私は思った。(ローソクの煙のせいでお父ちゃんが苦しいんじゃないの??早く消して!!)
ローソクの火が消えても数値はどんどん下がっていく。どうして、とまらないの?なんでこんなに下がってるの??不安でいっぱいになる。そして、、、、、数値が0になった。頭が真っ白になった。父の足元で立ち尽くす祖父。静まり返る病室。何もしない医者。。。
気がついた時には私は泣き叫んでいた。
父が死んだ。
子どもだから死がわからない、ってよく聞くけど、私は嫌というほど痛感していた。(お父ちゃんが動かなくなってしまった!お医者さんは何もしてくれない!お父ちゃん!動いてよ!!!)そんな風に思っていた気がする。
父の心電図が止まった後の記憶はほとんどない。おそらく葬式があり、四十九日とか一周忌とかがあったんだろう。幼い私には、あの日、父が目を開けて止まったあの日だけが、父の死を強く感じた最初で最後の日だった。
写真の中の父
その後はというと、父方の家で、何不自由なく生活を送った。家族も他の人が羨むくらいは仲良しで、母も姉兄も大好きだった。そして、同じくらい父を大切に思ってた。
父は写真の中で私たちと一緒に行動をした。毎年の家族写真には必ず父がいたし、姉の結婚式の時も、兄の結婚式の時も、私の結婚式の時も。。。必ず父の席が用意されていた。一度だけ、父の写真が割れたことがある。姉の結婚式だ。今思えば、父の抵抗だったのかもしれないが(飛躍しすぎ笑)その後姉は結婚生活にとても苦労し、離婚した。
父の身体はこの世からなくなったが、父を遠くに感じたことは無い。天然な母と人の良い姉と面白い兄といつも笑顔の写真の父。それが私の家族の形となった。
「死」は思うより身近なもの
父の死後も私はいくつもの死を経験した。祖父母の死、大切なペットの死、恩師の死、友人の死、、、その度に、大きな悲しみに見舞われる。しかし、私はみんなのことを忘れたことないし、これからも忘れない。
もちろん、毎日思い出すことはないけど、事あるごとに、思い出しては、思い出話をする。みんなが2度目の死を迎えるのはもっともっと先になるように。
4.最後に
結局何が言いたかったのか、まとまらない内容になって申し訳ありません🙇♀️💦
ただ、大切な人を失ってとても辛い思いをされている方がおられると思います。悲しんでください。忘れようとしなくて良いです。今はとても悲しいと思います。思ってくれる方がいる限り、その方は生きていることができます。